パラソルが作ってくれた日陰の下へ、シートを広げてゴロ寝するのはリゾートスタイルの銀さんだ。
 手元には露の浮くほど冷えた缶ビール。浮き輪を枕に寄っかかり、水着の上には軽薄なヤシの木柄のアロハを着用。気取ったサングラスまで掛けている。
 ブランドもののグラサンは格好つけているわけではなく、ちゃんと機能的な理由があった。さんさんと降り注ぐ初夏の太陽が銀さんの目には眩しすぎるのと、
 それとよくあるヘタな言い訳だが、視線を読ませないためと。

 ここからまっすぐ降りた浜辺でひとり水遊びをしているを、本人にもそうとは知られないようしっかり監視する必要があるのだ。



 波打ち際ではひょこひょこ、寄せては返す波と遊んでいた。白い素肌を飾るのは淡い珊瑚の色をした水着。
 ただしビーチサンダルは履いたまま…どころか、わざわざ上からパーカーまで着て、銀さんがせっかく用意してやった可愛いのを台無しにしてくれている。「海に入って泳ぐ気はない」と無言の主張はゆずらない。
 それでも今回は思いきってお江戸から遠い海に来たから、びっくりするほど水も砂もきれいだ。浜辺にはゴミひとつ、腐った海草も木屑もなくて、も存分に満喫していた。
 この娘、田舎育ちのくせに自然が苦手。以前別の海へ連れて行ってやった時は、着物を着替えることすらしなかった。


 銀さんはビールをぐびりと一息に、渇いた喉を潤した。
 つまみはの水着姿…なんて一瞬思ってしまって、そんな自分が恥ずかしくなった。バカか俺は。
 見ていて飽きない姿なのは確か。腰はびくびく完全に引けているし、水に浸けた足は今にも転びそうにおぼつかない。ときどきぎょっと跳び上がっているのは、生きて動く貝かカニにでもさわりそうになってしまったんだろう。

 跳んで着地した瞬間にふくよかな身体はぷるるんと震え、肌の表面がこまかく波打つ。水着のスカートから伸びる足は日差しに負けないほどまぶしい。グラサンの助けがなかったら正視できないところも同じだ。
 軽くはおっただけの上着は動きに合わせはためいて、時々ちらりと胸元にたゆんと深い谷間が覗いた。
 色付きガラスの下の目を銀さんがさっと走らせただけで、を遠巻きにうかがう男は4人や5人ではきかない。どの目も物欲しげな視線をべっとりとへ貼りつけていた。


 銀さんは胸の内で毒づいた。
 女が一人で海に来るわけねーだろが。近くに男がいるに決まってんだろが!

 海開きして間もない浜は、夏を待ちかねる人々で大にぎわい。だが家族連れより若い客が多いというのは誤算だった。なにぶん出立が急だったもので、銀さんもリサーチしきれなかったのだ。
 しかも今日に限って若い男の目がやけにうるさくにまとわりつく。女ならもっと色っぽくて露出も多いのがいくらでもいるのに、いったいどうしてなのやら。
 見えそで見えないどきどき感と、すべては見せない奥ゆかしさが男どもの気を引くとでも?そんなバカな。

 本人は例によって銀さん以外は眼中にないから、そんな視線にもまるで無頓着。だんだん自分を包囲する網が狭まっているのも気づいていない。自分が今にもワニの群へ放り込まれようとしている、どこぞの白ウサギだという自覚がない。

 どーせあの手の連中は「女は現地調達するべ〜」と、男ばかりで来ていやがるのだ。オンボロの軽に超満員で夜通し走って来たに決まってる。
 いや、わかる!
 銀さんも若い頃そんなんだったからね!
 もちろんその頃はごたついていたから、のんびり海水浴へ行くなど夢のまた夢だったけれど、それでも国中をうろつく中で海を見つければはしゃいで入ったし、地元の女もひっかけた。
 自分があの頃、目をつけた娘にどんな悪さをしたかと思うと、を見ているあのガキどもなど今すぐ殺した方がいいとさえ思う!
 ぶしゅぅぅっ!!

 思わず手に汗握ったはずみに、銀さんはビール缶を握りつぶしてしまった。



 そこへばしゃーんと大きな音。銀さんは水辺へ目を戻した。
 ほんのわずか目を離していた隙に、予想外の大波に足をとられてがしりもちをついていた。
「あわっ?わわわっ!」
 あわてて立ち上がろうとするものの、水を含んだ砂の中へ手足が沈んで動けない。もたつくうちに次の波が来て、頭から水をかぶってしまった。
 ざっぱーん!
「ひゃーっ?!」

 なんて間抜けな叫び声だと銀さんが苦々しく眺めていると、から最も近い場所をキープしていた若いのが笑いだした。
「あっははは!」

 よせばいいのに、も照れ隠しに笑うから。
「あは、あははは…」
 バーカ!きっかけができちまった!

 案の定、その機を逃さず男は話しかけてくる。
「大丈夫?」
っ!!」

 そんな野郎と口をきかす前に、銀さんはを大声で呼んだ。



 黒い髪からしたたる滴は光を反射しきらめいて、走るへうっすら紗をかけて見せた。
 スローモーションで再生されそうな、ふわふわとかすむの姿。それが銀さんの待つパラソルへ一目散に潜りこむなり、鼻の下をのばしていた男たちが一気に8割脱落した。
 未練がましくそれでも目で追ってくる奴らには、をもみくちゃに拭く様子をこれでもかと見せつけてやった。
「きゃっ?!なに、銀ちゃ…ぶばっ!あはは!強い強い!くしゃくしゃしないで!あはははは!くすぐったいったらぁ!」

 さらに男が散っていく。
 ふん、ざまーみろ。

 しかしそれはそれ。銀さんはタオルをかぶせたの頭にも、ぺちんと良い音の一発をくれた。
「おめーがそうやってへらへらしてっからバカな若いのが蛾みてーに寄ってくんだよ!」
「蛾って。せめてちょうちょとかミツバチとか…」
「おめーみてなバカに引っかかる男なんざ蛾でじゅうぶんでっすうぅ〜!」
「だったら銀ちゃんは蛾の大親分さんじゃない…」
「はァ?!なんか言ったっ?!」
「ううん。なんでも…」


 何か言いたそうにはしたが、だがはそれ以上抗わなかった。ゆうべから銀さんの様子がおかしいことはも薄々感じている。突然はしゃいだり沈んだり、まるで思春期の女の子のよう。
 今ここにふたりで居るのだってそう。今日は休日ではなかったのに、は営業中の店から突然連れてこられてしまったのだ。本来ならの機嫌を銀さんがいくらとっても足りないところなのに。
 確かに昨夜ニュースで見た海に「行きたいなー」と漏らしたのはだが、だからって。


 …が、仕方ない。
 きれーな水とお日様を浴びて、気分はいつになくさわやか。
 だからはころりと話題を変えて、声も明るく銀さんに笑った。


「はー!楽しかった!遊んだ遊んだ。ここの海きれいだったねー!」
 銀さんの恨めしそうな流し目はスルー。
「そろそろ着替えて帰ろうよ。あっ、そーだご飯食べていこうか」
「はー?やだよ、海の家のまっずい焼きそばなんかお前食いてーの?」
「そうじゃなくてほら、港。さいしょに船で着いたとこ。あのあたりにきっとお店があるよう。銀ちゃんのよくきく鼻で、地元の人向けの安くておいしい食堂さがしてよ。そーいうの銀ちゃん得意だもんねっ!」

 ねっ!
 と、翳りのない笑顔。に全幅の信頼を寄せられては、いつまでもふてくされていられない。銀さんの顔も弛まざるをえなかった。
「ちっ、しゃーねぇなァ。まぁでもそーだな。メシくらい食って帰るか。時間ずらさねぇと電車も混むしな」
「あ、そっかぁ。それもあるんだね」
「ばーか、だからおめーはバカだっつーの」

 乱暴な口をききながら、すっかり鼻の穴はふくらんでいた。
 銀さんは起きてパラソルをたたむ。シートはがまるめて抱えた。そろそろ日の色も濃くなって、赤味の増した日差しの中を、ふたりはリゾートセットを借りた海の家へと連れ立っていく。
 店の軒先では掛け札がくるくる舞っていた。
 『貸し更衣室あります ※温水シャワー付き』
 経費節約。ふたりでひとつのシャワーを借りて、おしあいへしあいきゃっきゃ笑いながら身体を流したのだった。







 思った通り、銀さんの嗅覚はすばらしかった。
 「ここだ!」と決めて飛び込んだ店は、地元で揚がったばかりの魚を漁師のおかみさんがさばいてくれる、安く気取らないお食事処。新鮮な刺身をアテに銀さんの酒もすすむすすむ。
 かなり早めの夕食だったはずが、ちびちびつまみを追加するうちずいぶんな長居になっていた。


 しかしそのうちの顔色が徐々に心配で曇りだした。もう徳利がふたつも空いている。銀さんは酒好きでよく飲むけれど、酒豪というほど強くはないのに。
「…銀ちゃんちょっと飲み過ぎじゃない?今から電車乗らなきゃいけないんだよ?途中で気持ち悪くなっちゃうよ?」
 なのにぐいぐいお猪口をあおり、の言うことなど聞いてくれない。
「あーわかってるわかってる。おーこれうめぇ!お前も食ってみな。おばちゃん日本酒もう一合!」
「銀ちゃん!」

 の不安は的中した。頼んだ酒の運ばれてくる頃には、銀さんは完全に正気を失い机に突っ伏してしまっていた。
「ええええ?!ちょっとちょっと銀ちゃん!銀ちゃん!寝ちゃだめぇ!」
 ゆさゆさどれだけがゆさぶっても、よだれを垂らしたしあわせそーな顔はびくともしなかった。


「あらあら、どうすんの」
「どうしましょう…。すいません、起きるまでちょっとだけ、このまま休ませてもらっていいですか?」
「いや、そりゃかまわないんだけど、あんたたち電車で帰るっつってたろ?」
 おかみさんは大変なことを教えてくれた。
「電車はまだまだ遅くまであるけど、早くしないと向こう岸まで帰る船がなくなるよ?」
「えっ?!」

 ほんの10分ほどの旅だが、ここは陸から離れた小島。駅は海を隔てた先にある。
「えぇぇぇぇぇぇぇ?!」


 は青くなって店中を見回した。
 壁にかかった丸い時計は無情に時を刻んでいく。
 次に銀さんはと見れば、本格的に夢の国。経験上、これを起こすのは至難のわざだし、この体をが抱えて帰るなど不可能だ。
「うそぉ…どーすんの…?」

 弱って机へ目を落とすと、お刺身定食の四角い膳に使い終えた割り箸の袋があった。
 短冊のような細い紙には、この店の名と電話番号が記されている。
 『民宿・お食事 西村屋』
「………」



 それからさらにもう3周ほど、時計と銀さんと箸袋へ順に目をやると、は最後におかみさんを見上げた。

「あのー、すみません…。今晩お部屋ありますか?」





>>>>>>>