ふくらみはじめたばかりの胸を、薄い唇が這っていた。
 小さな突起が精一杯硬く勃ちあがり、舌先でされる愛撫に応えている。けれどわたしの喉からは、ふぅ…、ふぅぅ…と、戸惑いがちなうなり声しか出てこない。
 ぎこちない反応を笑われないかわたしは気が気でなかったけれど、晋助様の指も、唇も、思っていたよりずっと優しい。昼間言われる百分の一も意地悪は出てこなかった。
 いつも煙管をくわえている口は、今は代わりにわたしの名前を転がすようにもてあそんでいる。
…か。あぁ、そうだったな、そんな名だった」

 わたしごときが応えていいのか、もったいなくなる声だった。返事もできずに黙っていると、小さく喉を鳴らされた。
「どうした。呼ばれる前に返事をしねぇか」
 それは晋助様が口癖のようにおっしゃることだ。いつもならお叱りの言葉だけれど、今のはたぶん違う。笑い含みのその声は、わたしを弄って遊んでおられるのだ。
「はい…、し、晋助様…」
「そんなに怖ぇか」
「いっ!いいえ!いいえっ!ぜんぜんっ!ちーっとも!」
 あんまりムキになり過ぎてとうとう本当に笑われてしまった。
 けれど「怖い」とは心外なこと。わたしだってもう一人前の女だ。まだ最初の一度だけだけど、月のものだって訪れた。

 晋助様はわたしの前髪をかきあげると、額にそっと口づけをくれた。信じられないことだったけれど、むくれたわたしの機嫌をとろうとしてくださったのかもしれない。
 そして唇が重ねられる。晋助様の中は甘く苦い。彼の身体に染み着いた煙草を、わたしは初めて舌で味わった。
「ふ…、んっ…、ふぁ…」
 唇を割って入り込む舌から、逃げようと無意識に身がよじれた。しかしその間に晋助様の女性と紛う細い指は、わたしの肌をなぞっている。くすぐったいのをこらえているうち、胸がおかしなふうに痛みだす。
 無性に誰かに甘えたくて、今ならそれが許されるのだと本能でわたしは理解した。
「晋助さまぁ…」
 生まれてこの方出したこともない、鼻にかかった声音に驚いた。晋助様がそれを怒りも嘲笑いもされなかったことにも。


 やがて指先は下腹へ伸ばされ、さらにその下へ降りていった。今はまだ濃い目のうぶ毛としか言えない毛を、愉しそうにさらさらくすぐると、指はもうひとつ奥へしのばされた。

 さわられた方のわたしにも、自分の漏らした恥ずかしい汁が彼を濡らしたことがわかった。驚いたように指を引かれてとてもいたたまれなくなった。
「ごめんなさい…、わたし…、もうずっと、こんな…、ごめんなさい…」
 小さな息の、ふっとこぼれた音が聞こえる。
 顔を覆って泣き出すわたしに、彼は確かに顔をほころばせていた。


 わたしの両手をからめとり、晋助様の身体が迫る。いつのまにか彼も一糸まとわぬ姿だ。傷だらけの痩せた胸板に、頭が沸騰してしまう。
 わたしたちは正面から抱き合った。
 意識し始めたばかりの場所に、晋助様の熱があてがわれる。恐れより期待に身体をふるわせ、わたしは彼に目ですがった。
 晋助様も片目を細め、わたしをじっと見下ろしている。
 視線の入り交じった瞬間、わたしの緊張のほぐれたことが身体越しに伝わったのだろう。

 彼はわたしとひとつになった。










 ぱちりと両目を開けてみれば、わたしはいつものようにひとりで寝床の中に丸まっていた。

「………あーあああああ…」
 頭の上まですっぽり布団に潜っていたのをいいことに、未練たらしいうめき声を思う存分吐き出してやった。
 どうせ夢なら、もう少し先まで見せてくれれば良かったのに。

 股の間に手を差し入れると恥ずかしいほど濡れているのは夢の中の自分と同じだった。疼いて仕方のないそこを気の済むまでいじりたかったのだけれど、今はダメだ。ふすま一枚隔てた向こうに晋助様が休んでいらっしゃる。
 誘惑にかられる自分の手を必死の思いで引きはがし、ぬるりと粘液にまみれた指は寝間着にごしごしなすりつけて拭いた。
「…はぁぁ」
 ほてった頬を手のひらで押さえ、わたしは熱っぽく息をついた。
 あさましいこと。寝しなにそればかり考えているから、こんな淫夢を見ることになる。間違いなく今日は一日中、これを反芻してしまう。
 耳を澄ますと晋助様がまだお休みなのがうかがえる。さっそく彼の口づけが脳裏にくっきり思い起こされ、わたしはにやけて布団を出た。

 外はまだ明けきらないが、わたしの朝はもうはじまる。




 お江戸を遠く離れた地方都市。晋助様はこの土地を長らく拠点にされていた。それほど息を潜めるでもなく、古い商家の別邸にひとり悠々と住まわれている。
 この国へ天人の訪れるまでは、城の置かれていた由緒ある町だ。近在の者が働きに出ると言えばここ。わたしも峠をふたつ越えた村から別のお屋敷へ奉公に上がるところを、ちょうど人手を探していた晋助様のお仲間に譲られ、彼の身の回りのお手伝いをさせていただくことになった。
 こんなに長く続いた娘はないと、そのお仲間…武市様という少しばかり気持ちの悪い人がわたしを見るたび褒めてくださるから、気に入られているとは言えないまでも、重宝されてはいるのだろう。
 彼の寝起きする続きの間に寝場所を与えていただけるなんて、自分でも破格の待遇と思う。


 寝床を片づけ身支度を済ませ、わたしは階下の台所へまずはかまどの火を入れに行った。お江戸ではもっと便利だと聞くが、このあたりはまだ朝の支度も火をおこすところから始めなければならない。
 火種をかまどへ移し入れ、くべた焚き木が燃え出す頃には空もすっかり明るくなって、すると二階の寝所にもそろそろ人の気配がしだすのだ。

 鍋に熱い湯の沸いたことを確かめ、わたしは上へ戻って声をかけた。
「おはようございます」
 返事を待って戸を滑らせると、豪奢な綿布団の上に身体を起こした晋助様が、ちらりとわたしに一瞥をくれた。

 夢で目にした優しい眼差しなど望むべくもない。当然だ。わたしはただのお手伝い。せめてご機嫌うるわしく今日も過ごしていただけるよう、一生懸命努めるだけだ。
 すぐにたらいへ湯を汲んで、朝の洗顔の用意をした。
 晋助様がお顔を洗う横で、乾いた手ぬぐいを捧げて待つ。それが終わるとざんばら髪に櫛をいれ、片目の包帯を巻いてさしあげる。
 進まない食事を騙しだまし食べさせ、お召し替えにも手を貸して…、仕事は山のようにあった。

 それから彼の身体を支え、南の窓辺へ座っていただいた。この窓から見渡す町の景色が晋助様はことのほかお気に入りだ。毎日ひっきりなしに訪れるお客様達と語らう時も、晋助様がこの窓際から動かれることはほとんどない。

 そうして朝の一服をゆっくりくゆらせる彼に、今朝方配達されてきた数種の瓦版を揃えて出す。
 ここまでがわたしの朝のおつとめ。
 晋助様にどんな些細な苛立ちも感じさせることなく、すべてをこなすことができれば、初めてお褒めの視線をいただける。
 常に不機嫌そうな彼がその目を和らげてくださるのだ。


 今朝は特別ご機嫌が良くて、お言葉まで頂戴してしまった。
「どうだこれは」
 渡したばかりの瓦版がわたしの前に放り出された。どれも凄惨な事故現場の写真が大きく一面を飾っていて、見出しの漢字はわからなかったが、きっと晋助様の指示した計画の成功が報じられているのだろう。

 これ以上ないほど痛快そうにくつくつと笑う晋助様を、窓からの風が静かに撫でた。切りっぱなしの髪がなびくのにわたしは声もなく見惚れていた。


 初めて姿を見た瞬間から、わたしはこのお方に夢中だ。
 小間使い風情に許されるのはせいぜい見ることばかりだけれど。

 でもそのかわり、わたしは誰よりおそばに在って、何ひとつ漏らさず彼を見ている。








 陽のさんさんと照る日中。
 わたしが庭の井戸端で汚れ物を洗濯していると、身なりの良い娘が供も連れずに裏の通用門をくぐってきた。このお屋敷の持ち主である繊維問屋のお嬢様だ。
 絹の衣装より銀のかんざしより、「匂うような」とでも言えばいいのか、柔らかみのある健やかな身体が見るたびわたしは羨ましい。

 今日は桃色の振り袖を召してやけにめかしこんだお嬢様は、すっかり顔なじみになった使用人…つまり、わたしへ気さくに声をかけた。
「いらっしゃる?」
「あ…、今はお客様がいらっしゃいます…」
 自分の頭に浮かべるものより、わたしの声は歯切れが悪く、陰気で、卑屈。だから口をきくのは好きじゃない。朗々として華やかな彼女と比べてしまうとよけいに。
「そう、しばらく待たせていただくわ」
「はぁ、じゃあお茶を…」
「いいのよ。おかまいなく。あなたは仕事を続けなさい」

 お言葉に甘え物干しに立つわたしにお嬢様が付いてくる。彼女はいつもそうやって、誰にも言えない秘めた恋心をわたしにだけうちあけてくれるのだった。
 子供の顔と子供の身体はこんな時にはとても不便だ。まさかお嬢様も、自分の胸にも背の足りない、おさげ髪の貧相な小間使いが恋敵とは思いもしないのだろう。


 けれどこの日は雲行きが違った。

「わたくしね、お嫁入りが決まったの」
「はぁ…」
 それはおめでとうございます…と口ごもりながら祝いを言うような言わないような。頭だけは深々と下げておいた。
「ふふ、ありがとう。それでね、あなた笑わないで聞いてくれる?」
「…?」
「せめて最後に一度だけ、あの方にお情けをいただきたくて」
「は…?」
 目を見開いて凝視するわたしをなんと勘違いしたものか、お嬢様は薄化粧の頬を染めた。


 折り良くなのか、悪しくなのか。母屋に人の声がした。お客様がお帰りになるようだ。わたしはあわてて頭をさげて、黒紋付のお武家様がお供の少女と連れだって立ち去られるのを見送った。

「ほかにお客様は?」
「いえ…」
「そう」
 お嬢様の目が凛々しく引き締まる。
「私が呼ぶまで、あの方とふたりにしてちょうだい」
 まるで戦地へ臨むかのように、彼女は屋敷へ歩いていった。



 そうは言われたがお嬢様の言いつけを聞くつもりなどさらさらなかった。わたしの雇い主は晋助様で、彼女でも彼女の父親でもない。お客様を通しておきながらお茶も運ばなかったとあっては、後からひどく叱られてしまう。
 茶器を揃えたお盆を手に、足音をひそめ階段を上った。わずかに開いていた障子から部屋の様子を窺ったのは、下世話な覗き見根性ではなく、お茶を出す間を計るためだ。あくまでも。

 ほんのわずかなその隙間からでも、部屋の真ん中に座るお嬢様と窓辺にかける晋助様は見えた。
 お嬢様が、見ているこちらの胃が痛むほどの緊張とともに切り出した。
「おかげさまで、このたび嫁ぎ先が決まりました」
「ほう、そりゃあめでたいな。俺からもいずれ祝いをさせてもらおう」

 うっすらよそいきの笑みを浮かべ、晋助様がお嬢様を見下ろす。支援者の顔を立てる意味でも、晋助様も彼女には一応の礼を尽くされるのだ。
「で、でしたら…、おそれながら、おねだりしたいものがございます」
「なんだ」
 やけにうわずった彼女の声を、晋助様も怪訝そうに聞いていた。


 わたしが思わず固唾を飲む前で、お嬢様は勢い良くひれ伏した。
 額を畳へこすらんばかりに晋助様へ訴えた。
「わたくし、ずっと、あなた様を、お、お慕い申し上げておりました…!」

「どうか、どうか一度だけ、お情けを…」



 いつまでも答える声は無かった。
 顔を伏せたきりでいた彼女は、晋助様の表情が劇的に豹変する様を見なかった。それはせめても幸せなことだ。

 怒りだったのならまだいい。
 やがて不穏な空気を察しておもてをあげたお嬢様が見たのは、紛れもなく自分へ注がれる侮蔑そのものの眼差しだ。

 汚物にわいた蛆よりも穢れたものを見るように、鼻面に深いしわを寄せ、自分こそ醜い顔をして、晋助様は低く罵った。

「…反吐が出るぜ」


 それきり二度とわたしが彼女を見ることはなかった。








 その日の夜はとても長かった。
 昼間と違って見るべきものの何もない、闇に沈んだ家並みを晋助様は飽きずに眺めていた。煙管を癇症に桟へ叩きつけ、刻み煙草の灰を捨てると、吸い口に牙でも立てるようにして火のないそれをまたくわえる。
 寝床はすでにのべてあったがお許しがなくては下がることもできず、わたしは眠い目をこすりながら部屋の片隅に控えていた。そもそも朝と逆の手順で同じだけある務めを果たさねば、自分だけ休むわけにはいかない。

 やっと思い出してくださったか、彼の目が私の上で留まった。
「はい!」
 ほかをしくじっても今ここをしくじるわけにはいかない。呼ばれる前にここぞと返事をする。わたしの気負いが通じたのか、晋助様が苦笑した。
「寝るぞ」
「はいっ」
 覚束ない身体の杖になる為、腰を浮かせる彼の懐へわたしは身体を潜り込ませた。


 ところがなぜか晋助様が、自分の身体を少しも支えてくださらない。予想外の重みに焦ったわたしは、してはいけないことをした。晋助様の自由にならない方の足にうっかり身体を預けてしまったのだ。
 ぐらりと重心が傾いた。
「あ、わ…っ?!わわっ?!」
 とても体勢を持ち直せずに、ふたつの身体がもつれあって転ぶ。晋助様にお怪我のないよう、下敷きになるのがやっとだった。
「……っ!」
 痩せて細くても大人の男。仰向けに倒れたお腹を潰され、中のものを吐き出しそうになった。

「す、すみ、すみません…、晋助様、お怪我は…」
 懸命に声をかけるのだが、わたしの上の重たい身体はいっこうに動いてくれようとしない。
「晋助さま…?!」
 まさか、と悪い想像に身を強ばらせたのは一瞬だった。

 二重の意味で夢のよう。
 細い腕がわたしを包んでいる。

 わたしは彼に抱きしめられていた。


 早鐘を打つ心臓を、真っ赤に火照ろうとする頬を、今にもよがりだしそうな声を、わたしは力づくで押さえ込んだ。
 代わりにぽかんと口を開け、自分が何をされているのかさっぱりわからないふりをする。
 板に棒の生えたようなわたしの身体を、夢とは違う荒々しい手がなかば殴るようにまさぐった。ゆるんだ胸元へ二度三度、噛みつくように唇を這わせ、そして晋助様は唐突に、飽いたわたしを投げ出した。

「もういい。起きろ。くだらねぇ」
 許されてやっと這い出たわたしは、胸も足も露わに放り出したまま、晋助様を唖然と見てみせる。
 ついに何ひとつ、わたしがわからずじまいなのを確かめ、晋助様はようやくもとの落ち着きを取り戻されたのだった。



 晋助様の身体を見れば、彼が戦でどれほどの傷を負われたのか一目でわかる。後から新しいものを作って繋げたかのように、くっきり色分けされた半身には不自然なまでに傷ひとつない。
 けれどそうして形ばかりは人がましく整えてあるものの、所詮は紛い物の身体が元通り動くはずもなく。

 上手に隠していらっしゃるから、それを知るのは限られた者だけだ。
 ただの人には出来ないことを見事に果たしてのける彼が、ただ人であれば誰にでもできるごく当たり前のことができない。
 たとえばまっすぐ歩くこと。たとえば機敏に動くこと。
 ただの男ならば、女にすること。

 思うにまかせない身体のために、晋助様の欲望は形そのものを変えたのだと思う。
 今の彼にはこの世を壊し、ねじ曲げることこそが悦び。
 俗な肉欲の入る隙はない。


 けれど同時に、彼は怯えている。それが他人に知られることを。
 誰しもが持つ能力を晋助様は失っている、ただその一点のみをもってして、人々は彼に「不具」の烙印を押すに違いない。
 人を惹きつけてやまない神性も、改革者としての手腕も、実力も。多くを手にしていればいるほど、憐憫の対象となるに違いない。
 だから彼は、晋助様は、男として求められることを、心の底で深く恐れ、それゆえ激しく憎まれる。

 もちろんわたしは、それを知った上でお嬢様を止めなかったのだけれど。



 子供の顔と子供の身体はこんな時だけ本当に便利だ。何も知らない子供と思えばこそ、晋助様はわたしをおそばにおいてくださる。
 わたしが夜ごとこの人になぶられる夢を見ているとも知らず。
 晋助様の留守を盗み、晋助様を思い浮かべて自分を慰めているとも知らず。

 知られたらあのお嬢様のように、虫を見る目で見下げ果てられる。
 おそばに置いてもらえなくなることよりそれはかなしいことだ。

 だからわたしはひたかくしている。彼を思って本当は濡れている身体を。
 見た目のままの子供の顔で、聞いた言葉の意味もわからず真似る道化を演じるのだ。
「わっ、わたしは、しんすけさまを、おしたいもうしあげ、ないです」


「…?」
 不意をつかれた晋助様は、失礼ながら愛らしささえ感じるきょとんとした目をされた。
 「お慕いしている」が怒らせたのだから、逆を言えばいいと思ったのだと、回りくどく幼稚な小賢しさを理解していただくのに少しかかった。

 やがてくくっ、と彼の喉が鳴った。
 わたしの座るすぐそばにくつろぎ、晋助様はなんと声まであげて笑い出した。
「…バカか!」


 笑顔の見られたのがうれしくて、けれど正直な自分の気持ちの伝えられないのがかなしくて、
 それでもおそばにいられることが、わたしはやっぱりうれしかった。









リクエストありがとうございました!
A様から「こちらの高杉さんは好きな子のことはどうやっていじめてるのかなぁと、ずっと疑問でした」
ということで、晋助様のお話回答編(?)でした。裏っぽくできずにすみませんです…。