昼さがり。しかし和室は薄暗い。
 ひとりっきりの部屋の真ん中で銀さんは考え込んでいた。

 空気を読まない知り合い達に連日どんちゃん騒ぎをやらかされ、このところの家へ行けていない。
 ようやく今朝方帰ってくれたので、今夜は久々にふたりっきりでのんびりさせてもらう予定だ。土産に菓子でも買ってやって、の作った夕飯を食べて、くだらないテレビでも流しっぱなしに狭い四畳半でごろごろと…。
 当然その後はひとつ布団で眠ることになるだろう。布団の中では抱き合うだろう。おやすみのちゅーくらいはしてやろう。
 しかし、そこまで。今夜は決してそれ以上の狼藉は許されない。
 は明日、急な用事で田舎へ日帰り強行軍の予定。朝が早いので万が一にも「夜更かし」させるわけにいかないのだ。

 部屋の真ん中にあぐらをかいて、銀さんはうむむと頭をひねった。
 できるだろうか。
 抱いて寝ながら手は出さないなんて。

 いやいやもちろん銀さんも?飢えてるわけでは全然ないんですよ?付き合いだってもう長いし?なら飽きるほど喰ってるし?今までだって10日泊まって10日ともヤってたわけじゃないし?そんながつがつみっともない真似する気も必要もないんですけど?

 だがもうかれこれ一週間もの体に触れていない。もちもち柔らかい腹に。気持ち良い肌に。香る髪にも。手のひらばかりか全身があの感触を懐かしがっていて、いざ本物と抱き合った時に自分がどうなるか信用できない。
 実際過去の統計的には、これに類似した状況下において何事もなく朝を迎えられたことなど一度としてなかった。

 ならばもう一晩、今夜も別居すればよさそうなものだが、銀さんにその選択肢はない。
 がいい加減寂しくて寂しくて限界だろうから。
 が。
 それに明日は振袖らしいので着付けもしてやらないといけないし、髪も結ってやらなきゃいけないし…。

「しょーがねぇ」
 ぱん、と銀さんはひざを叩いた。それならに手を出したくても出せないようにしてしまえばいい。
 つまり今のうちに「処理」しておくべし。
 昼でも日当たりの悪い暗がりで、けれどおかげで罪悪感もそれほど感じることはなく、銀さんは押入れへ這っていった。



 そうと決まればまずはおかず。ふすまの前に便所座りで銀さんはコレクションを物色した。「緊縛美少女写真集(※モデルは成人しています)」やら、ちょっとひねった春画をぱらぱらと。
「………」
 ところがいまいちぴんとこない。股間のセンサーはうんともすんとも。
 神楽が住むようになってから、子供の目には触れにくいように「量より質」で厳選したお宝本…のはずだったのだが。
「ふぁ〜あ…」
 しまいにあくびまで出てしまった。
 これは困ると銀さんは押入れの奥へ頭を突っ込んだ。他にも何か残っていたはずだ。邪魔な手前の衣装箱を押入れの外へ引きずり出す。念のため箱もいったん開けて、中に詰まっていた薄手の服をぶちまけた。
 ついでに空になった箱の中へしばらく使うことのない綿入れや上着をかき集めて突っ込む。そうそう、こたつももう片付けよう。分厚い毛布も洗ってしまおう…。

「よし!」
 衣装箱を元通り押し入れにしまい、襖を閉めればきれいさっぱり。
 春の衣替えができました。
「違ぇし!!」



 いかんいかん。この時期の押入れは危険だ。ついつい整頓したくなってしまう。銀さんは力なくかぶりを振りつつ、事務所のほうへのしのし出てきた。本はあきらめ映像にする。
 銀さんの使う「社長の机」には鍵のかかる引き出しがあって、中にDVDが隠してある。抜きどころをよくわかっている馴染みの一枚を引っ張り出すと、とりあえず事務所のテレビをつけた。

 中古で拾ってきたプレイヤーにディスクを挿れようと操作していると、聞くともなしに音が耳に入る。ちょうど放送中の番組だ。確か子供向けのギャグアニメと思ったが、ずいぶんと渋い声をした男女が気取ったセリフをしゃべっていた。
「ん?」
 つい画面を見た銀さんは、そのまま目が離せなくなってしまった。馬鹿げたギャグの裏側で語られる、胸の張り裂けそうなノスタルジー。そして不健全な懐古を振り切り、未来へ踏み出す主人公と家族。
 ソファへ座りなおすことも忘れ、テレビの前にしゃがみこみ、口も開けたまま見入ってしまう。
 銀さんは知るよしもなかったが、それは「春休みこどもまんがスペシャル」。PTAの皆さんが目くじら立てて抗議するお下品幼稚園児アニメ…の、傑作劇場版だった。

 およそ1時間後銀さんがえづくほど泣いていたのはここだけの秘密だ。
「うお゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛!!ひ゛ろ゛し゛ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
 身を投げ出して床を叩く。だん!だん!
 親にも子にも悪役にも感情移入できてしまう銀さん世代にはあまりに刺激の強い作品だった。





 銀さんはぐったりソファへもたれた。号泣は体力をモーレツに使う。心もすっかり洗われて、とても今から監禁レイプを見られるような気分では。
 鼻水をずるずるちーんとかんで、ティッシュが役立ったのは良かったが。
「あ〜あ…」
 背もたれに両腕をかけて、沈み込むように天井を見上げた。いつまで十九ハタチのつもりかと冷や水を浴びせられた気分だ。

 だがしかし。
「そういうことなら安心してと寝りゃいいな」
 指一本ふれられなかったら、は不平を言うかもしれないが。
 「銀ちゃんもっとがんばってよう」なんて、可愛い声で言われてしまうかもしれないが。
 うししと顔がニヤけたが、いやいや銀さんはもうイイ年だし…。

 今夜はを焦らしまくって遊んでやるのもいいなと思った。










 その翌日。東の空がやっと白んだ朝もごくごく早い時間。
 だんご屋裏の四畳半には、出かける支度で大わらわなと銀さんの姿があった。始発の特急電車に乗ってはこれから田舎へ帰るのだ。地方の厳しい家なので帰省の折は正装が必須。
 ともすれば首からかっくんと今にも折れてしまいそうなに、銀さんが必死で着物を着せていた。
「ほら、こっちの手ぇあげて!くるっとまわって〜!」
「うん……………ねむい…」
「ちょ、寝るなこら!電車の中でも寝るんじゃねーぞ、無用心だからな!」
「無理……つか…でんしゃも無理…もう寝る…」
 すぴー。
さんんん!!」
 寝不足にくわえくたびれきって、くにゃりと意識の飛んでしまう。銀さんがそれをがくがく揺すぶった。むにゃむにゃ幸せそうな寝顔を本当はもっと見ていたかったけれど。
「早く髪結わねーと電車遅れる!あとこっちむけ、おけしょーしてやっから!目のクマちょっとはマシになっから!」


 ぱたぱたおしろいをはたかれながら、が少しだけうらめしそうだった。
「うぅぅ…、してって言ったのはだけど…、あさまでするとはおもわないもん…」
 銀さんだって思わなかったとも。
「…おっかしいな〜?こんなはずじゃあ…あっ!こら寝るな!ほら、駅行くぞ、しょーがねぇ銀さんがおぶってってやっから…」


 結局今度も過去の統計を裏付けるデータが増えただけ。
 衣装で倍も重くなったを銀さんは背負って走り出した。






枯れ彼