「おかえりなさーい!」
 甘えた声を追いかけてたたたとが顔を出すと、銀時の目がこっそり輝いた。思わず弛んだ口の方はあまり隠せていなかったけれど。


 もう昼時も終わろうとする午後の入り。銀時は徹夜仕事からやっと解放され戻ってきた。頭の中で指を折ってみれば、なるほど今日は週に一度のの休日だ。思わぬ出迎えが無性におかしくての額にぱちんとでこぴんした。
「いでっ?!なに?なによう、なにすんのぉ?銀ちゃん仕事じゃなかったの?飲んで朝帰りしてきたの?」
 出会い頭にそんなイタズラ、もちろんも喜ばない。だが銀時がやや猫背気味にのしのし部屋へ上がり込むと、脱ぎ捨てられたブーツを揃えて、それからいそいそついてきた。

「んが〜?あぁ銀ちゃん、おかえりヨー」
 一方事務所で出迎えた神楽はうって変わってふてぶてしい態度。ソファに寝ころびおせんべをくわえ、疲れて帰って来た家主よりお昼の愛憎ドラマ劇場の方がよほど気になって仕方ないようだ。いったい誰に似たのやら。

 銀時がへおもむろに命じる。
「おい財布」
「はい」
「すげー!息ぴったりネ!」
 手品のように一瞬で出てきた小銭入れを見て、神楽が感嘆の声を上げた。
 それを銀時はぽんと放り投げると
「これ全部やるから表で遊んできな」
「マジでか!?」
 小銭入れとはいえ、中身はずっしりぱんぱんにふくれたがま口だ。
「ウソうそウソうそあげないよっ!ちょっとちょっとなに言ってんの銀ちゃん?!」
 あわててが神楽に飛びつき、すかさず財布は取り戻したのだが。

 完徹明けの高揚感は酒に酔っぱらうのにも似て、見た目はしらふでもどうやら銀時は理性と良識に欠けている。は不穏な成り行きを予見して、仕方なく神楽に小銭を握らせた。
「コレ、お小遣いあげるから、神楽ちゃんはしばらくお外行ってなさい。この調子じゃ銀ちゃん何言いだすかわかったもんじゃないわ」
「私が行ったらオトナの時間アルか。ずっこんばっこんハメハメアルか」
「ギャアアァァァ!子供がなんてこと言うのっ!!?ほらぁぁっ!銀ちゃんがちゃんとしないから神楽ちゃんがおかしな日本語覚えちゃった!!」
「あぁそーねはいはいわかったわかった銀さんが悪かった悪かった」
「銀ちゃん!」
 くってかかるなど意にも介さず銀時は耳をほじくっている。

「ハイハイ出てくヨ。好きにするヨロシ。お前らなんかに付き合いきれねーヨ」
 白けた顔で回れ右、こちらは鼻をほじほじと、神楽が事務所をあとにした。
 オトナになっても自分に彼氏ができなかったら、男というものにとことん幻滅させてくれたパピーとバカ兄貴と銀ちゃんのせいだ。そんなことをぶつぶつつぶやきながら。







 神楽が玄関を出るか出ないかのうちに、は早くも和室へ引きずり込まれていた。銀時はさっさと布団へごろん。無理やりそのそばへ座らされる。仕事で朝帰りと聞いたから、すぐにばたりと倒れられるよう布団を敷いておいてやったのが、こんな形であだになるとは。
「もー銀ちゃんたら!神楽ちゃんに何聞かせてるの?年頃の女の子なんだから、もっと気をつけてあげなきゃダメじゃない!だいたい銀ちゃんはいつもいつも…」
「あぁぁぁ!もーうっせぇうっせぇ聞きたくねぇ!銀さん疲れてんのっ!」
 道で行き倒れた旅人のように、銀時はのひざへ抱きついた。張りのある太ももへ顔を突っ伏し、伸ばした腕は腰へ巻きつけ、ついでに尻をむんずとつかむような撫でるような。
 けれどもぐったり投げ出された重みは、下敷きにされたの足が痛むほど。つまりを気遣う余裕もないほど疲れきっているということで、それを思うとそうそう厳しいことも言えない。への字に結ばれていた口がやがて緩んで苦笑を浮かべた。
「…もう。おつかれさま」
「おう。もっと遠慮なく優しくしていいぞ〜」
「こういうかんじ?」
 静かに頭を撫でてやる。の髪のようにするするとはこぼれない。銀色のくせ毛はくしゃくしゃと指にまとわりついて、それでいて心地よく肌をくすぐっていった。


 ところがその手は銀時に邪魔っけに振り払われてしまう。
「あー違う違う違う、優しいっつーか、やっぱもっとエロい感じがいいや」
「は?エロ?こうやっていいコいいコするんじゃダメなの?」
「ばーか、そこらのガキじゃねーんだよ。男ってのはな、極限まで疲れると女抱きたくなるもんなの」
「あーそれ知ってる。バッテラってゆーのよ」
「……………ああ、うん、まぁいいか」
 他の誰に言う言葉でもないし。


「なあに?銀ちゃんしたいの?」
「んー…。そう訊かれるとそうでもねーんだけどぉ…」
「だよね?」
 が言うのも無理はない。窓からはさんさんと日が射して、ひなたぼっこに最適ののどかさ。銀時の背はちょうど日光の直撃を浴びてぽかぽかに温められている。不埒な行為に及ぼうという淫靡な空気には程遠い。
「だからぁ、それをイイ雰囲気に持っていくのが大人の女の手腕てモンじゃねぇの?おめーいっつもコドモ扱いすんなってあんだけ言ってんだからさァ、だったらここは手練手管で銀さんをムラムラさせてみろっつの」
「えぇぇ?そんなこと言われても…」
 には少々難易度が高い。銀時が勝手にムラムラする分には、この身を差し出す覚悟くらいあるのに。
 はありもしない助けを求めてうろうろと目を泳がせた。


 そのうちに、ふと目の裏をよぎる光景。
 そういえばつい二日ほど前も、ここで銀時に抱かれたのだった。

 視線を下げるとこちらを見上げる目と目が合った、ばっちりと。こっそり盗み見たつもりだったのに、のわずかな身じろぎもすっかり筒抜けだったらしい。
「なに、思い出し笑い?いやらし〜」
「わ、笑ってないもん、思い出したのは思い出したけど、けど笑ってはいないもん!」
 そうは言いながら思わず口元を隠してしまう。笑ってなんかいないはず。でも。
「そんで思い出したって何をよ?」
「…や、あのさ、おとついも、ここでしたじゃない…」
「あ〜はいはい、お前すんげぇでっけー声で…」
「あああああれは銀ちゃんが言わせたんでしょぉぉ?!」

 それは銀時の大好きな、よくやる意地悪ではあった。の達する寸前で何度も何度も、何度も止めて、泣いて狂うのを見て遊ぶ。
 それがその夜は特に執拗に長引かされて、はもうそれ以外のことを何も考えられなくなるほど追い詰められてしまっていた。
 頭もおかしくなる寸前…いや、とっくにおかしくなっていたに違いない。
 銀時の言いなりについにはかなり品のない単語も口にした。
「なんて言ったんだっけな〜?お前覚えてる?」
「お、覚えてない…」
 覚えていたとしても今ここで言えるような言葉じゃない。
「あーそうそう思い出した思い出した。『もうダメ、早く×××ちょうだい〜』って…」
「うわーっ!わーっ!わぁぁぁぁぁっ!」
 誰が聞いているわけでもないのに、は目を回して銀時をぶん殴った。
「ちょ、もー痛い痛い。お前声がでかいって」
「うそばっかり!そんなこと言ってないもん!」
 神に誓ってそこまであからさまなことは言わない。なんなら百万円賭けてもいい。

「お?そんじゃあなんて言ったんだったかお前自分で言ってみな」
「そっ、そんなの、今言わなきゃいけないことじゃないでしょ」
「あっそ、だったら銀さんの冒険の書には正式に記録しといてやっからな。あん時のおめーの発言は 『もうらめぇ、早くのいんらんまんこにちんぽずぼすぼ突っ込んでぇ』だったって」
「さっっっきとぜんっっぜんっ、ち、が、う、じゃんっっ!!」
 もはや伏せ字の配慮すらない。

「それがイヤならほれ言ってみな。正しくはなんだっけ?ん?ん?んん〜?」
 のお手並み拝見と挑発するように笑いながら、ひざに突っ伏していた銀時がずるずるとにじり上がってくる。
「わわっ?なに?」
 押し倒されたの腰へ乗り、さらに胸へとよじのぼり、ちょうど真上からを組み敷いた姿勢で止まる。
 嗜虐心を隠そうともしない目がを間近に見下ろしていた。
 どうあっても何か言わさずにはおかないという意気込みに、ははらはらとあわてふためき、おろおろうろたえ、目はぐるぐる。
 言えるわけない。あんなの相当頭がおかしくなってないと。銀ちゃん自分は徹夜明けでタガが外れてるもんだから。

「ち、ちが、違うのよ。違うんだから。は別に、そのことを思い出して、赤くなったわけじゃないんだから…っ」
「へぇぇ?じゃあ何。あーあれか。二回目は自分でさせろっつって、勝手におっ立てて跨ったことか?」
「ちが…」
「んじゃあっち?こぼれたアレがもったいないっつって、這いつくばって舐めたこと?」
「ああああああもぉやーめーてぇぇぇぇ!」
 ひとり銀時にというよりも、世界中のありとあらゆるものに顔向けできないような気がしては真っ赤に顔を茹らせた。どちらもおおむね本当にあったこと。それこそタガの外れた自分はいったい何をしているのかと。


 だがそれでも、それとは違うのだ。
 がいちばんに思い出したのは、まるで別のこと。

「じゃあ何、なに思い出して赤くなってんの」
 目を爛々とさせる銀時に、は消え入りそうにして言った。
「…ちゅう」
「は?」
「…だから、さいしょにちゅうした時の!」
「………?」
 拍子抜けする銀時の下で、だけがじたばた身悶えていた。



 その夜寝床の中でなにげなく、はほっぺたを挟まれて、思いつきのようにさりげなくキスされた。

 けれどその力は思いのほか強く、厳重にを包みこみ、決して逃げるのを許さなかった。
 手のひらはやけどしそうに熱く
「あぁ銀ちゃんは、そんなにもが欲しいんだなぁって…」
 ぎくりときまり悪そうに銀時が苦い顔を逸らした。


 はずみのついたの口からは、なめらかに声があふれだす。
 求められるのがたまらなくうれしくて、もちろんとても恥ずかしくて、
 それから、少しだけ怖かった。
「ん?」
「だって銀ちゃん、にやにやお口は笑ってるのに、目がちっとも笑ってないんだもの」
 は今から、またこの男に、好きなだけ遊ばれてしまうのだと。


「へぇ?怖かった」
 気づけばを、赤茶けた目が見つめている。その目をまっすぐ見つめ返すとなぜだかはにかみ笑いがこぼれた。
 怖いのに、怖いけれど同時に胸が詰まる。とろとろに溶けて飴になった期待と好奇心で。

 そして気づいた。
「…あ」
 今がまさしく、同じ気持ちだ。


 の両頬は銀時の手にしっかりと力強く挟まれていた。笑っていながら笑っていない目にまっすぐ見下ろされていた。
「こういうコトだろ?」
 さっきまでの自分が嘘のように、今度は声が上手に出なくて首だけこくこく動かした。
 ぴったり閉じた足が汗ばみ、妙に熱いのが気持ち悪い。
 きゅっと付け根に力をこめると、にちゃりとねばつく感触がする。
 自分の身体がどうなっているのか、それなのにそこを見ようとしても顔はぴくりとも動かせない。銀時に捕まえられたまま。
「ふぁ…銀ちゃん…」

 手のひらはやはりとても熱かった。腕がふるふると震えているのは、力が入りすぎないように、を挟みつぶしてしまわないように、必死でりきんでいるのかもしれなかった。
 加えて今は、体全体がを圧しつぶしている。顔ばかりか胸も、腕も足も全部動かない。
 あの夜と同じに身体がほてった。

「…でも、いっとくけど、むりやりされるのが好きってわけじゃないんだよ?」
「ばーか、んなこたわかってんよ」


 ゆっくりと銀時が近づいてくる。
 けれども逃げることはおろか、顔をわずかに逸らすのも叶わない。

 あ、そっか目はつむれるんだった。
 気づいてそっと目を閉じる。

 と同時に唇がふれた。


 ちゅ。