「やだなにこれ〜?!」
 店仕舞い後の掃除中。が客用の座布団を手に、素っ頓狂な声をあげた。
 赤い絣の素朴な四角、その真ん中に虫食いにしては大きすぎる穴が開いている。硬貨くらいの丸がひとつと、周囲に飛び散った小さいのがいくつか。
 座布団のほころびた茶店だなんていちばん貧乏ったらしいと思うから、支度の時も常に目を配っていたはずなのに。もちろん今朝店を開ける時も。

 は奥へののれんをくぐった。流しに立った銀時の身体を避けて横歩き、自分の暮らす狭い部屋へ上がる。確か押入れに替えのカバーがあったはずだ。
「なに」
「銀ちゃん隣に座ってたよね?気づかなかった?見て、どうしようこれみっともなーい」
 よりにもよって遠くからはるばる観光に来てくれたお客さんをこんな席に座らせてしまっていたなんて。
 お江戸の恥だ。いたたまれない。

 しかしあらためて座布団をよーく見ては首をかしげた。
 奇妙な穴の開き方だった。布が弱って擦り切れたのとは違う、なぜこんな穴ができたのか原因がさっぱりわからない。強いて言うなら煙草の火でも落としたようだが、穴の周囲に焦げはなかった。
 だんごの皿を洗いながら、銀時が小声で独り笑う。
「ひひっ、あのネーちゃんの垂らしたマン汁のせいだったりして」
「銀ちゃん!」
 じろりと睨まれても悪びれもしなかった。



 あれは昼を過ぎた頃だっただろうか。の営むだんご屋に今日、一風変わった客が訪れた。
 ドレスに描かれた大輪の花も霞ませる美貌の若い娘だ。その洋装と、わずかにうかがえる発音の癖、だんごを初めて見るらしいことから旅行者であることが知れた。
 店のだんごをありったけ持って帰りたいと注文されて、用意をする間この席で待っていてもらったのだが。

 『お待たせしました!』
 『ヴぐっ?!』
 『…?ごめんなさい、おっきい袋を探してて』

 支度を終えて戻ってみると、店の空気は妙に熱く澱んでいた。
 他ならぬ彼女を中心に。


 うかつなことにはそれを最初、単なる体調不良としか思わなかった。
 ぴんときたのはたまたま隣に居合わせた銀時の顔を見たせいだ。

 朝から店の片隅で暇をかこっていた銀時は、興味本位を隠しもせず、ぶしつけに彼女を眺めまわしていた。その目はにやにやと意味ありげ。もよーく知るイタズラな視線だった。

 銀時の視線をなぞるように、も遠い国の娘を見た。
 まぶたは熱で腫れぼったく、目はともすればうろうろとあらぬ方へ泳いでいこうとする。せっかくの真新しい服は汗だく、そして椅子の上でもじもじとしきりに太ももをすり合わせている。
 彼女の意識が下半身…それも奥まった部分にあるのは明らかだ。

 も遅れて真相を悟った。彼女が今、本当はどんな状況にあるのか。
 彼女の「中」に、彼女を狂わす「何か」が挿れられているに違いない。

 「何か」の影響には波があるらしく、どうにか口をきける時もあれば、目玉の今にも裏返りそうな官能が露わになる瞬間もある。それでもそんな辱しめを受けながら、彼女の肌は艶めかしく輝き、どこにいるのかもわからないパートナーの仕打ちを心から歓び、また受け入れているように見えた。
 だんごの包みを渡す時、かすかに触れた指の熱さにはもどきりとしてしまったほど。



 その反面、自分と銀時と彼女の他には客がふたりしか居なかったことに、はこっそり安心していた。もよく知るあのふたりならおかしなウワサを言いふらす心配はないだろう。
 魅入られそうな女性ではあったがそれはそれ。あんなふしだらな遊びを許す場所だと万が一にも広まれば、店の風紀が乱れてしまう。さすがの歓楽街かぶき町でも、場所をかまわず行為に及べば眉をひそめられるのは言うまでもない。
 一歩入ればどんな嗜好にも応えることのできるこの街だが、遊びと生活は見えない線で、しかし明確に隔てられている。
 の暮らしとこの店は生活の側に位置するつもりだ。


「はー堅い堅い。その場その場でいいようにやりゃあいいじゃねーか。あのネーちゃんもそうだけど思春期の娘ってのは頭でっかちで困るね」
「なに言ってんの?はい、交代」
 は流しの前を代わった。
 しかし濡れた手を尻で拭いただけで、銀時はそばを離れようとしない。
「なあに?あのひととなんの話したの?」
「ああん?話っつーか、うわごと?みてぇな。ネーちゃん気もそぞろってヤツだったしぃ?」
 またしても目だけがイヤらしく笑っていた。銀時のこの顔が方々で「下卑た」と形容されているのをは知っている。まったくもう。


 やがて銀時は「なぁなぁ」と、猫撫で声で擦り寄ってきた。
 ほらきた。やっぱり。
 頼みもしないのにお手伝いしてくれるなんて、絶対裏があると思った。
「なあ。気づいた?気づいてんだろ?お前も」
「なあに?なんのこと?」
 わかっていたがしらばっくれた。

 背後からぴたりとにくっつき、銀時はちょうど良い位置にあるおかっぱ頭のてっぺんにあごを乗せた。腰はの尻に密着させて、ぐりぐり大きな円を描いた。
「なぁなぁいいな〜?あれいいな〜?あれ絶対アイツらもアテられてるよ?あっちのダンナさんあんな顔してムッツリしてっから、さっそくあの足でホテルにでもしけこんでんじゃね?」

 銀時が「アイツら」と言ったのは、店に居合わせた二人の客のこと。常連客であるお姉さんと、ここで待ち合わせをしていたその恋人だ。
「あーあ、いいないいな〜?あすこの彼女はなんつっても彼氏にベタ惚れじゃん?言いなりじゃん?今ごろアソコにオモチャ突っ込まれて高級ホテルのロビーかなんかで羞恥プレイの真っ最中じゃね?ハァ!お盛んなこって!」
「なァ銀さんも〜。銀さんもを可愛がってやりたいでーす。可愛いたんをもっともっと可愛くしてやりたいでぇす」
「いいだろ?ちゃん遊びましょ〜?」
 ぐりぐり円を描いていた腰が、へこっと大きく前を突いた。

「つーかさ、このまんまじゃ沽券に関わるわ。あっちの彼氏に許されることがなんで銀さんには許されないわけ?彼氏として負けじゃん、冗談じゃねーっつの!お前銀さんに恥かかすつもり?」
「チッ」
「舌打ちっ?!愛する男に舌打ちしたよこのコっ?!」


 尽きることないやかましいおしゃべり。ようやっとそれが止まったところでがゆっくり振り向いて、銀時の眉間へ指をつきつけた。
「自分の物差しで人を計らないの!あんな立派な彼氏さんが銀ちゃんみたいにえっちなことばっかり考えてるわけないでしょっ!あのお姉さんだって銀ちゃんが思うよりずーっとしっかりしてんだから!ああいう人を芯が強いって言うの!いけないと思えば彼の望みでも凛としてはねのけるの!そーいう人なの!」
「ふん、さァどうだか」
「つーかなに?銀ちゃんはとえっちなことがしたいんじゃなくて、よその人に負けたくないだけなの?前に銀ちゃん自分で言ってたよね?隣の人をうらやむ限り、よくぼうは永遠に満たされないんだよっ?」
「うぐっ…!」
 始めはしれっと聞き流していた銀時も、これには言葉を詰まらせた。


 しかしさらに一歩出ようとした身体を、はとっさに引っ込めた。
 銀時の瞳が怪しく光ったのだ。
「ひっ?!」
 気づいた時にはもう遅かった。は羽交い絞めにされ身動きもならなくされてしまっていた。
「ちょっ?!や、やややっ!ちょっと銀ちゃん?!あわわわわわっ?!」
 ぐるんと身体が振り回される。一段低い土間に居たは、ふわり軽々と持ち上げられて畳の上へ転がされた。両手両足は銀時の手足に重石をされてこれも動かない。

 天井の広がる目の前に、にょきっと銀時の顔が割り込んでくる。
 犯される、力づくで言いなりにされてしまう、と背筋の冷えただったが。
「?!」
 銀時はの唇を優しくふさいだだけだった。


「は、あっ、いやっ、なに…んむ、ぐぐぐぐぐ?!」
 口づけは優しくとも情熱的だ。中を奥まで舐めまわしてから、銀時はちゅるんと唇を離し、温かにを見下ろした。
 猫撫で声がここへ来てさらに甘さを増していた。
「おめーの言いたいことはわかるよ」
「?」
 風向きが違う。

 そういえば畳へ寝かされる時もあくまで丁寧に柔らかに、卵を転がすようだった。が痛みを感じないよう、今も手足に乗せる重みをさりげなく加減してくれている。
 ゆっくりとまた顔が近づいて、の耳たぶをまるごとしゃぶった。
「はぅぅ!?」
 骨格をたどり、次はあごの先を舐める。そして喉元へ吸いつかれ、ぞくぞくと身体に寒気が走った。
「や、やめてぇぇぇ…」
 抗う力も端から抜ける。
 まつ毛の触れ合いそうな近くで、銀時の目が細められていた。
「あぁわかるとも。おめーにも立場ってモンがあるよな?だんご屋の娘はアバズレだ、恥知らずだ〜なんてウワサになっちゃあ店やってけなくなっちまうよなァ?」
「う…、そ、そうだよ…」


 は昼間の娘を思い出した。彼女の中で渦巻いていた快感を想像するのは容易い。同じことをされればもああなる。いや、あんなものでは済まないだろう。
 には彼女ほど気を確かに波を乗り越える自信がない。
「だめ…ぜったい、あんなの…だめ…」
 もしも失敗してしまったら。
 公衆の面前で乱れてしまったら。
 そんな姿をもしも見られたら、店どころかお江戸にいられなくなってしまう。

「だよな?わかるよかわいそーに。んなことになりゃあ恥かくのは女のおめーだよ。ああわかってる」
「うん」
 甘えた顔でが仰のくと、望みどおりにキスをしてくれた。


 わかってもらえては嬉しかった。
 銀ちゃんはやっぱりに優しい。好きに振り回しているように見えても、本当は親身に考えてくれている。

「そーだよ。ほんとはだって、銀ちゃんの望みなら叶えてあげたいよ?」
「そーなの?おめーオモチャなんかキライだろ?」
「きらいだけど、銀ちゃんがどうしても、どうしてもしたいって言うならも考える…」
「へぇぇ?」
 銀時の微笑が生臭くきらめいたことには全く気づかなかった。
「そーかそーか。おめーは優しい子だなァ」
「でもご近所はだめ。それだけは絶対無理…」
「そりゃそうだろうとも。知った顔が誰もないトコならともかくなァ?」
「うん」
 上目遣いにはうなずいた。

「なに?そーいうトコでなら、お前銀さんと遊んでくれんの?」
「…ん。まあ…、いいよ」
「おっ?マジで?!」
「えっ?でもでもっ!そんな遠くには行かれないよ?明日もお店あるからねっ?」

「へーきへーきすぐ近く。ここをどこだと思ってんの」
「?」
 ぽかんと開いたの唇が、ニヤついた唇にふさがれた。
「夜の遊園地かぶき町だよ?」





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