風呂から上がったばかりだというのに、背中は脂汗でじっとり濡れて、貼りついた浴衣が気持ち悪かった。

 安宿の赤くイヤらしい灯の下、大きなベッドの一番端には小さく縮こまっている。正座して、ひざのあたりの布を握り締め、真っ赤な顔をうなだれさせて…。顔など一生上げられそうな気がしない。
 広さだけは自慢できそうなベッドなのに、あんまり隅へ寄りすぎるので今にも落ちそうになっていた。


「うわ、かーわい。怯えてんの?こえーの?やっぱ無理?怖い?銀さんなのに?なあ、怖い?」
 同様、浴衣をちゃんと着込んだ「総悟」がベッドの上を這ってきた。栗色の髪は横着をしてよく乾かしていないらしい。毛先からしずくがぽたぽたしている。
 の裸足の足の甲にも冷たい水がぴちゃりと落ちて、足がびくっと引っ込んだ。
「ん〜?」
 「総悟」の顔が間近に近づく。をにぃっと下から見上げ、整った顔が笑み崩れた。細まった目とつりあがった口元は、どこかおじさん臭く下卑ていて、普段の総悟とは違う。
 それでもその顔は間違いなく沖田総悟のもので、別人に見えるなんてことはない。
「あらあらかわいそうに、どーしよ、怖いんだ?あぁかわいそかわいそ」
 にやにや笑いながら言われても少しも真に迫ってこない。「可哀想」なんて大嘘に決まってる。


「そのへんにしといてやんなせぇよダンナぁ…」
 呆れたような声がもうひとつ。三人で入れるこの手の宿は、なかなかないのだとかさっき聞いた。
 声の主は「銀時」だった。ベッド脇の椅子に腰掛けて、一見のんびりとくつろいでいる。それが演技か本心かはともかく。
 二人と同じく浴衣姿だ。帯などむしろいつもより几帳面に締めているし、どこかで聞いた独特の口調も気になるけれど、顔も体も、声だって確かに坂田銀時。
「おう、沖田くんもこっち来ねぇ?」

 「沖田くん」。
 「総悟」が「銀時」をそう呼んで手招きした。
 へいへいと軽く腰をあげ、「銀時」もベッドに這い上がる。シーツの下の粗末なマットがみしみしと耳障りな音をたてた。

 ひょっとするとこの「銀時」は、呼ばれても来ないんじゃないだろうか。と、秘かに期待していたはがっくりと絶望に肩を落とした。
 もしもこの「銀時」が総悟だというなら。潔癖そうなあの子なら、こーいう悪ふざけは嫌うだろうと思ったのにな。こんなにほいほい乗ってくるとは、の見込み違いだったか。
 それとも、やっぱり、この「銀時」は銀ちゃんで…。あれもこれも全部手の込んだ悪い冗談で…。


 嘘かまことか「銀時」と「総悟」の身体と中身が、入れ替わってしまったなんて言うのだ。
 「俺があいつであいつが俺で」?どんなバカげた出来事もこのお江戸では十分起こりうるとはいえ。
 はいまだに二人の話を心から信じきれてはいない。これが土方や桂ならばともかく、この面子を思えばそれも当然。

 ましてや
 「元に戻る為には身体に激しい刺激を与えないと」
 とか。
 「だから、三人で、してみよう」
 だなんて。
 いけしゃあしゃあと言われた日には。

「騙されてるとしか思えない…」





「な、お前はどっちとする方が抵抗ない?」
 「総悟」がにやにやと擦り寄ってきた。には答えようがない。沈黙をもって答えに代える。
 ところが「総悟」はあくまでにはっきりと返答させたいらしい。それきりじっと黙ってしまった。
 我慢比べはほんのしばらく、不自然な沈黙が居心地悪くて仕方なくは蚊のなくような声で答えた。
「銀ちゃん…」
「だからどっちよ」
 「総悟」と「銀時」を見比べて、震える指で「銀時」を指す。

 とたんに「総悟」がそれはそれは嬉しそうに、目をらんらんと輝かせた。
「えええええ?けどそれ中身は沖田君だよ〜?いいの?お前それでいいの?へぇぇ!?お前沖田くんと寝てみたかったわけ?あーそうなんだぁ?へえぇぇぇぇ…」
「ちが、違うよう!」
 あわててが「総悟」を指しなおすと、それはそれでまた目が光る。
「え?俺?マジで?けどこれカラダは沖田くんだよ?それって沖田くんとすんのと一緒じゃん?お前こいつのチンポ舐めれるの?えぇ?舐めれるの?怖ぇぇお前怖いわぁ」
「どう言ってもけっきょく意地悪言うんじゃんっ!!」
 むきー!
 食ってかかるの勢いをそのまま「総悟」が抱きとめた。決して乱暴なわけではなく、優しく抱きしめられるているのにの身体は強ばったままだ。信用できない。がその気になったとたんに二人が笑い出すんじゃないかと。その疑いがぬぐえない。



 けれど「総悟」は手慣れた様子でを撫でまわしていた。肩を抱き、指で髪を梳き、合い間に頭に口づける。そのやり方は銀時にされるのとよく似ているような気がする。
 ということは、この人ほんとに銀ちゃんなのかな?でも抱っこしてちゅうするやり方なんて、そうそう違いがあるのかな。他の人となんかしたことないからわかんない。
 ふと見上げると、そこにはまぎれもない「総悟」の顔が笑っていて、きれいなお顔が照れくさかった。

「ずりぃやあんたばっかり」
 がお風呂を使っている間に二人の間で話がついていたのか、混ざろうとする「銀時」に「総悟」が場所を空けてやる。
 頭に「銀時」の唇が触れた。背中をそっと撫でる手は、「総悟」と違って遠慮がちだった。

 寄ってたかって触られているうち、も次第に触れ合う身体に慣れてきた。
 それどころか、ふたりにかしづかれているようで、思いのほか気持ちいいのが悔しい。これじゃあ二人の思う壺だ。懸命に自分を戒めるものの、それも長くは続かなかった。


「なぁダンナぁ」
 やがて「銀時」が甘えた声で
「俺にもちゅーさせてもらってかまいやせんか」
「あぁいいよ、ちょっと待ちな」
「きゃ…っ?」
 「総悟」はを抱き上げて、あぐらをかいた自分の膝の中へ座らせた。後から頬ずりしてやりながら、の耳元に囁いた。
「沖田くんがお前にちゅーしてぇってさ。さしたげる?」
 わざわざ訊くのがイヤらしい。

 ぷいとそむけたの顔を「銀時」が大きな手のひらで撫でた。有無を言わさずそのまま唇を合わせてくれた、その優しさがには意外だった。
 おや。この人は銀ちゃんじゃないかもしれない。銀ちゃんなら、さっきみたいにに答えを言わせるまで、なにがなんでも黙って待っているはずだ。

 キスの仕方も明らかに違った。いつもの銀時よりやけにあっさり。「ついばむように」というのが似合う。ちゅ、と触れてはすぐに離れて、顔中しゃぶりつくさない。よだれでべったべたにしない。
 軽く結んだ唇に、舌がちょろっと這入りこんできた。かたちだけの舌先を舐めて、すぐさま出て行こうとする。だらしないな、とおかしくなって、ふざけてその舌に噛みついてみた。
 びくりと身を引いた「銀時」に思わずくすりと笑いがこぼれた。

「こらぁ」
「ひゃっ…?あわっ?」
 勝手な悪ふざけを咎めるように、を抱いていた「総悟」の銀時が、後から乳房をわしづかみにした。乱暴に揉みほぐしたあとは、浴衣の上から先端をつまんだりつついたり。
「や…」
 布を突っ張り立ち上がった突起を反対側から「銀時」の総悟が口に含んだ。ぴちゃぴちゃ音をたてて吸いたてられ、かと思えば甘く歯をたてられる。
 浴衣がよだれで濡れてしまうとはそれだけ気がかりだった。


 精一杯押し殺したはずなのに、やがて漏らしたため息を「総悟」は見逃してくれなかった。
「へえ?気持ちよくなってきた?」
 気だるく首を振ると、背後から乳首をきつくつままれた。
「んっ…」
「誰に、気持ちよくされてんの?」
「…銀ちゃん」
「どっちの?」

 さっきと同じ質問だ。どう答えれば意地悪されずに済むんだろう。一生懸命正気を保って一生懸命に考えるものの、うまい答えは浮かばない。
 そうするうちにも「銀時」がふたたび唇をせがむので、は逃げるようにそちらへ応えようとした。こっちの銀時の方が、いつもより優しくて扱いやすい。頼るならこっちだと本能的に身体が判断をくだしている。
 首にしどけなく腕を回し、「銀時」にしがみつこうとした身体は、しかし突然ものすごい勢いで引き戻された。
「ダンナ?」
 目を丸くした「銀時」が、一瞬総悟の顔に見えた。



 くるりと世界が半回転、目に映る景色はシーツと壁から古びた天井に変わった。そこへぬっと「総悟」の顔が突き出ての視界を遮ってしまう。
 は「総悟」にしっかりと組みふせられていた。

「あっちの銀さんがそんなに気持ちいい?あっちは沖田くんだっつったろ?」
 じっと見つめる目が恐ろしくて反射的に首を横に振る。ご機嫌とりのつもりはなかったけれど、あわてて「総悟」を抱き寄せる。
 けれど両腕を強く突っぱられて、それ以上顔が近づけられない。「総悟」はにちゅーさせてくれない。

「なに?ちゅーしてくれんの?けどこれ沖田くんだろ?」
「でも…」
「そっかァお前、他の男ともしてみたいんだ?」
 違う違う!ムキになってふるふる首を振る。すると「総悟」は見るからに傷ついた顔をしてみせて
「そんなに嫌がんなくてもいーじゃん、傷つくわぁ、銀さんとちゅーなんかしたくねぇって?もう銀さんのことなんか嫌いなんだぁ?あーあ…」
「そっ、そんなことひとことも言ってない言ってない!言ってないよ、言ってないよねっ?!」
 え?言ってる?頭がおかしくなりそうだ。

「じゃー銀さんにちゅーしてくれる?」
 そのうえが言いつけどおりに「総悟」の頬を挟もうとすると、にたりと白いキバがのぞいた。
「ふぅん?は沖田くんの顔にちゅーしたいわけ?」
「じゃあどうすればいいのようっ!?」


 頭は混乱していても、にだってちゃんとわかっている。これは銀ちゃんのよくやる手だ。人の心を折るためには、何を言っても否定するのが一番の早道。
 でもはなにも、好きでこんなことしてるわけじゃないのに。
 こんな仕打ちは割りに合わない。まったくもって割りに合わないよ。
 悔しいわ情けないわよく分からないわ、で、鼻と目の奥がだんだん熱くなる。喉から塊が突き上げそう。
 意地を張って渡り合おうとする気も萎えた。

「もうやだぁぁぁ…」
 とうとうは両手で顔を覆ってしまった。



 鉄板を引っかいたような、ひぃぃぃん、と耳につく高い音。自分がかなり本気で泣いてしまっていることに、は自分でも驚いていた。
「やだぁ!もう知らないっ、もうやめるっ、こんなのもうやめるっ、もううち帰る…!」
 駄々っ子のように足をばたつかせ、鼻声で喚き散らしながら、それでいて二人の反応に全身の感覚を研ぎ澄ませている。
 「銀時」は狼狽している模様。一方「総悟」はさっきまでのが嘘のような満面の笑み。
 間違いない。この「総悟」が銀ちゃんなのだと、胸の深くへすとんと落ちた。


「あれぇ?どうしよう、が怒った。なんで怒んのぉ?」
 へらへら笑いながら、心の少しもこもらない猫なで声が憎たらしい。触れてくる手を寝返りうって振り払うと、は真ん丸く縮こまった。けれど「総悟」の銀時は、一緒になって寝転がるとその背を後からすっぽり抱きしめてしまった。
「な、怒った?」
 こくこく、小刻みに首をふってみせる。
「じゃーもう銀さんなんか嫌い?」
 ぶんぶん、今度は横にふる。

 くちゅっと耳たぶごと口に含むような口づけ。乾いた心地よい声がひそやかに囁く。銀時のとは少しも似ていないはずなのに、その声だけで腰が痺れて、ごまかす為には一層身体を丸めた。
 だがその声は言うにことかいて。
「なあ、銀さんさぁ、いっぺんが他の男にされて、どうしようもなくなってるとこが見たいんですけどぉ」


「な?見せて?」
「そんなの、無理よう…、っ、銀ちゃんじゃない人となんか、絶対無理…」
 どんな無理難題で返されるかと思ったのに、意外にも銀時は大きくうなずいた。
「ったりめーだろ。おめーに手ぇ出す野郎なんかいたら銀さんそいつぶっ殺すわ」
「でしょ?」
 首をひねり、泣き腫らした目を銀時に向ける。ああ、この人はやっぱり銀ちゃんだ。
「でもあれは?」

 赤ん坊のように丸まったまま、は目だけで銀時の視線を追いかけた。
 その先に居るのはくしゃくしゃの銀髪。魚の腐ったような目で、らしくもなく心配そうにこちらを見ている、あれは。


「………銀ちゃんだ」
「な?」





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