玄関先に明かりはない。
 引き戸を開けてすぐ左にあるお勝手の電気も消されている。当然足元も真っ暗だ。廊下をずっと入った先のガラス戸から漏れてくる光が、床板をぼんやり照らしているだけ。
 営業受付時間は終えて、夕食時もとっくに過ぎて、現在ここは「万事屋銀ちゃん事務所」ではなく「坂田銀時宅」なのだからそれも当然だ。街のみんなの便利屋さんも今は完全にプライベート。従業員のいないお茶の間は見違えるような静けさだった。
 部屋に居るのはふたりきり。机にはガラスの器もふたつ。ひとつはもう空。もうひとつには薄いピンク色のかたまりがほんのひとくちだけ残っている。食後のデザートいちごアイスだ。既に原型はほとんど失われ、今にもとけてしまいそう。
 かろうじて固体をとどめる部分を銀のスプーンがひとさらえした。

「ん。ほら。あーんは?」
「あーん」
 鼻から抜ける甘えた声がした。隙間なくぴたりと身体を寄せてほとんど抱き合うようなふたり。軽く突き出されたあごをつまみ、銀時はを上向かせた。うっすらと開いた唇にスプーンの先がそっと添えられる。
 半乳状の冷たいものがとろりとへ注がれて、舌の窪みに溜まったアイスはみるまにただのいちご牛乳になった。

「あ〜バカ、じょーずに食わねぇから」
 スプーンを引くとき口の端にぺっとりアイスがついてしまった。赤い舌先がすぐにちろりと唇をなぞり、また引っ込む。
 が、取れない。
「ばーか」
 手のひらで頬をはさみこみ、銀時はちゃんと舐めとってやった。

「んー…」
 ひとたび触れた口と口は当たり前のようにキスを始めた。自分の舐めて濡らしたところが気になるのか銀時がそこを舐める。ぺろり。
 汁気をくすぐったがったは身をよじり唇で唇をとらえた。
「やん、もぉ…、こうでしょ」
 ちゅっと小さな音。
 くしゃくしゃのくせっ毛を抱き寄せて自分から正しく口づけてくれる。唇を合わせ、すきまから舌を差し入れからませた。銀時も応えていちご味のする口の中を舐めまわしてやった。
「銀ちゃん、ぎん、ちゃん…」
「よだれたれてんぞ」
 半開きの口からこぼれたものをうれしそうに銀時はすすりあげた。


 そのうちを抱きしめた手が、背中から下へ這いはじめる。分厚い着物がもどかしそうに、けれどもあえて今はこらえて硬い帯もそのまま腰を撫でた。くびれを手のひらでなぞり、それから尻を、太ももをさする。逸る気持ちに抗えず気づけば銀時の大きな身体はを思いきり押しつぶしていた。
「わりぃ。苦しい?」
「ん…、いい…。いいよ…」
 お言葉に甘え体重をかけると嫌がるどころかは両手を首にからめてもっと引き寄せた。浮かせた腰をなすりつけ、一生懸命おねだりしながら。

 互いに興奮している自分を少しも隠そうとはしない。銀時がを揉みしだけば、も銀時の股間に触れて、むしろ自分が相手よりどれほどいっぱい欲情しているか、競うようにぶつけあっていた。
「すき…、すき、すき…」
「もっと言ってみ」
「ぎんちゃんだいすき…!んもぉぉっ…!」

 きゅーっと目を回して言うを銀時は椅子へ押し倒した。実は「ベンチ」とでも言うほうがふさわしい狭い座面には、たとえ上下に重なりあってもふたりで寝そべるほどの幅がない。銀時もも片方の足をぶらりと椅子からはみ出させている。
 ところがそんな不安定な姿勢がかえって盛り上がるのだから不思議だ。
「ふあ、だめ、落ちる、落ちちゃうったら」
「うわ、あぶね、お前もっとこっち来な」
 こらえきれずに笑ってしまいながら、落ちないように抱き合った。身を縮め、まるでひとつの物体になろうとするかのようにくっついた。

 隣の部屋へ行けばいいのに、その間も惜しむ自分達の余裕のなさには呆れてしまう。
 それでも腕の中にある柔らかな肉を手離すことが銀時はどうしてもできそうにない。たぶんも同じ。可哀相に胸を潰されて満足に息もできないだろうに、こちらはこちらで硬い筋肉と乱暴な重みに恍惚としている。
「はぁ…っ、はぁっ、銀ちゃん、銀ちゃん、銀ちゃん…」

 舌の叩きだす水音とかすれたあえぎ、細切れの息。
 長椅子がぎしぎし軋みをあげる。



 皆が来たのはそんな時だった。









 ばーん!と景気よく玄関が開いた。続いてどたどた入り乱れる足音。そう広くはない上がり口で順番を譲り合っているようで、要領の悪い物音がする。
 そして一気に賑やかになった。
「ただいまヨー!!」
「うふふ。ごきげんよう。おひさしぶりです」
「銀さん?お邪魔しますね?」
「あっ、あぅ、くんも居たのか、やあ、しばらく」
「えーとあの…銀さんすいません……ただいま…」

 なだれ込んだ声の内訳は神楽とその友達。さらにお妙に柳生九兵衛。ひとりだけ遠慮がちなのが新八だ。
 なんと揃いも揃ったり。5人もの客が万事屋を突然訪れた。





「いらっしゃあい。まあ、お妙お姉さんに九兵衛さん。ご無沙汰してますぅ。こんばんわぁ」
「おう。なにおめーら雁首揃えて」
 その時にはもう銀時は向かい側。机をへだてたの正面に素知らぬ顔で座っている。素っ気ない中にも親しみをこめて急な来客を出迎えた。

 …もちろん、内心発狂しながら。

 もしも神楽と新八だけなら遠慮なく叩き出していたはずだ。 『っせぇ!今からしっぽりやんだよ!大人の邪魔すんじゃねぇ!空気読めやァァァァ!!』
 しかしお妙が一緒では何を言われるかわからない。おまけに九兵衛、さらにくわえて神楽の友達まで居るとなれば。
 それもマリっぺや五月ちゃんではない。
「あれぇ?なに神楽ちゃんよォ?おめーお城に遊びに行くっつってなかったっけ?」
 笑ったつもりが口の端はひくひく細かく引きつって、少しも笑えていなかった。
 さいわい気づかれなかったようだが。
「ええ。だけどお城はつまらないから、神楽ちゃんに連れだしてもらったんです」
 『警備の人間何やってんだァァア!?』

 ふふふと微笑む高貴な少女がこんなに憎く見えたことはない。
 客の中には将軍の妹君、そよ姫様までいらっしゃった。


 まかり間違ってもお姫様の目に汚いものを見せないよう、銀時は着物のすそをぱたぱたとあおぐふりをしてやや浮かし、中でむくむくと大きくなっていた股間を隠すのに懸命だ。 『なんなのこいつら揃いも揃って!なにしに来てくれてんの?イヤガラセ?こちとら完全にヤル気になってんだよ出走待つのみだったんだよ!』

 も同じ気持ちでいることが手に取るように伝わってくる。こっそりそちらを盗み見てみると、銀時にだけはそうだとわかる今にも泣きそうな情けない顔。何度も裾を整えては落ち着かない風情で座りなおして 『かわいそーにうずうずしてんじゃねーか!このままここでヤったろかァァ?!』
 無論そんなことをすれば身の破滅。
 と、なにより自分の為に、ここはなんとしてもコトを荒立てずに客をさっさと返さなくては。



 しかし銀時の気も知らず、皆わきあいあい盛り上がっている。
「すぐそこでばったり会ったのよ。ね、神楽ちゃん」
「うん!アネゴ見てびっくりしたヨ。どしたアル?」
 するとお妙は胸に抱えていた風呂敷包みを机に広げた。ぱさりとほどけた布の中から上等そうな箱が現れる。開けると鼻をくすぐる芳香。真っ赤に熟した南国果実がクッションに包まれ眠っていた。
「ほわ!?」
「あら神楽ちゃんは初めて?これはマンゴーっていうくだものよ。九ちゃんにたくさんいただいたの。せっかくだからおすそわけ。みんなで食べたほうがおいしいでしょう?」
「ふぉぉ…!これがうわさに聞く国産完熟マンゴーアルか…!さすがセレブ!」
「ごほ、ごほん!う、うん。よかったら君も食べてくれくん」

 愛してやまない妙ちゃんとは別に、いかにも「女の子」然としたもまた彼女の憧れだ。何度も言葉を詰まらせながら不器用なりに精一杯の好意を示す時の九兵衛が、実は銀時はあまり面白くない。思わず下品な愚痴も口をつく。「マンゴーならたった今食うとこだったっつの…。だいたいの好物は銀さんの肉バナナだしぃ〜?」
 誰にも聞かれていなくてよかった。

「大丈夫かくん?顔色が悪い。なにか心配ごとだろうか?僕にできることがあれば力になる。あの男がよからぬことをしているなら…」
「よからぬことは今からだしぃ〜?」
「?」
「あぁいや、なんでもねぇ。こっちのハナシ」


「つーかわりーね気ぃ遣わせちまって。あぁ、そーだ。うちよりババァんとこ持ってってやれば?初物食えば75日だろ。ま、今さら延びてどーなる寿命でもねーけどな」
 銀時は煮えたぎる劣情を隠し、しらじらしく、できるだけ興味もなさそーに、ソファへふんぞりかえってみせた。
 もちろん演技だ。策略だ。
 宴会場を下のスナックへ移そうという企みだ。
「あら珍しい。欲のないこと」
「そりゃもう違う欲で頭いっぱいなんで!」
「?」


 挙動不審はスルーしつつ、それもそうねとお妙はうなずいた。果物の箱を閉じたのを見て銀時の目は輝いたのだが
「冷蔵庫を借りますね、銀さん。冷やしたほうがおいしいんですって」
「…あ、あっそ」
 そう都合よくは運ばない。

「えぇ〜?すぐ食べないアルかぁ?」
「銀さんの言う通りよ。お登勢さん達も呼んであげましょう?」
 むしろ人を呼び寄せる皮肉な結果に。銀時は無言で頭を抱えた。


 いいや、まだひとり残っている。頼みの綱に銀時はすがった。男は男、女は女ということで、隣に座っている新八だ。 『なぁお前ならわかるよね?彼女とふたりっきりの男が何してたかわかってくれるよね?』
 懇願する目が通じたか、新八ははっと顔を赤らめると慌てふためき席を立った。
「あっ、すみません!僕としたことが気がつかなくて!」
「そ、そーだよ!わかる?新八くん?!」
「すぐにお茶入れますね!」
「おめーは当分童貞だよ!」

 あちらでお妙は携帯を取り出し嬉々として誰かと話している。やけに長いと思ったら、お登勢と話をし終えた後に違うところへもかけているらしい。
「ええ、よかったらお店がはねた後に来ない?いいわよ広いから5人くらい大丈夫」
「おいぃ!誰と誰と誰呼ぶつもりィ?!」

 このままなしくずしに宴会突入か。銀時が絶望の淵に立たされた時、ずっと青い顔をしていたが、腹をくくった笑顔で立ち上がった。
「あっ、じゃあわたし、お酒とおつまみ買ってきます!」



「へっ?おめー何を…」
 すわ裏切りか?と胆を冷やして、だがよく見れば宙を泳いでいる目に銀時はの真意を見抜いた。帰ってもらうことはあきらめて「抜け出す」作戦へシフトしたのだ。 『その手があったか!さん賢ぇ!』

「あらそんないいのよ、おかまいなく。今からこっちに来る子がいるから、その子達に何か買ってきてもらうわ」
「いえいえそんな、『お客様』にそこまでしてもらうなんて申し訳ないですぅ」
 しかもこんな時でも無意識のうちに「自分は」銀時の身内であることをアピールしていくイヤらしさもイイ。
 ぼんやり感心していたら見咎められたのであわてて乗っかった。
「んあ〜。しゃーねえなァ。夜道あぶねーから俺もついてくわ」
 もちろん死んだ魚の目は忘れずに。

 急いていることが知られないよう、つとめて自然な歩みを装いふたりは「のんびり」部屋を出た。本当は眠れる龍の前をぬきあしさしあし通っている気分だ。慌てて走れば追いかけられそう。
 どんなに焦っていたのだか、暗い玄関から自分の履き物を探すだけでもずいぶんかかった。なにせ神楽がひとこと「私も行く〜!」と言ってしまえば頓挫する悪だくみだ。ようやくブーツを履いた時には背中が冷や汗でびっしょりだった。


 そこへ突然に扉が開いたのだ。
 身体が勝手に動くのも無理はない。

「御免!銀時は居るかぶぐふぉっ?!」


 息もぴったりに桂を蹴倒し、その勢いでふたりは飛び出した。





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